こんにちは。少年自然の家です。
少年自然の家のすぐ西側に、まるで私たちを優しく見おろすようにそびえている「雲母峰(きららみね)」という名の山があります。標高は888メートル、昔、黒雲母(くろうんも)が採れたことから、雲母の別名の「きらら」という素敵な名前で呼ばれています。
鈴鹿山脈が大好きな私は、以前から季節を問わず縦横無尽に山登りを楽しんでいましたが、どういうわけか雲母峰だけは後回しになっていて、数年前になってやっと登る機会に恵まれました。
頂上はパラグライダーが離陸できるように整備されているのですが、そのためかなり眺望が開けていて、まるで宇宙の広がりを思わせるような青く神秘的に輝く伊勢湾がどこまでも見渡せ、付近の鎌ヶ岳や御在所岳などの標高の高い山に負けない素晴らしい景観でした。頂上に至るまでが意外とハードで、最初の長いつづら折りの急登と、それに続くいくつものピークを一つ一つ越えてやっとたどり着く道のりで、そのこともあって頂上からの景色が特に印象深かったのかなと今になって思います。
思い出深い山だけに、遠くから見えるその美しくたおやかな一つ一つのピークは、「きらら」という名前の素敵な響きとともに私の中では大切な存在でした。
ところがどうでしょう。少年自然の家に来てみたら、その大切な「きらら峰」がなんと「ゴリラ山」などと呼ばれているではありませんか。驚きました。落胆しました。正直、そのネーミングのセンスの無さに怒りすら感じました。
ひどい。ひどすぎる。僕の「きらら」のいったいどのあたりを見て「ゴリラ」などと名付けたのでしょう。人から良く「ゴリラ」「熊」などと呼ばれることの多い私は真剣に悩みました。
悶々とする日々がしばらく続きましたが、大門池でのカヤックのプログラムを担当する機会が増えるにつれて次第にその謎が解けてきました。
カヤックのプログラム中、陸上でマイクを握る司会役のスタッフは「沖の方から振り返るとゴリラそっくりな山が見えますよぉ~。」などというのです。どうも、三つあるピークの真ん中がゴリラの顔、その左右のピークが盛り上がった両肩に見えるというのです。
ほんまかいな。水上で一人用のカヤックに乗り渋い顔をしている私の周りで、小学生の子ども達が「本当だ!ゴリラに見える!」などと笑顔ではしゃいでいます。いやしかしゴリラはないでしょう。あんまりだ。
多い時には日に2~3回カヤックのプログラムを担当し、そのやり取りを目にする、そんな日々が数か月続きました。
すると恐ろしいことに私の頭の中が「ほんまかいな。」から「そうかいな。」へ、さらに「ほんまやなあ。」へと変わってきてしまったのです。
そして気が付けば私もカヤックの上で「まんなかのピークが顔でねぇ~。」などと説明するようになってしまいました。なんということでしょう。まるで刷り込みです。
私の中の美しかった「きらら」はとうに姿を消し、もはや「ゴリラ」にしか見えなくなってしまいました。こうなるともうダメだ。
さようなら「きらら峰」。そしてこんにちは「ゴリラ山」。
長くなりましたが今日はこのあたりで・・・。
【どんべえ】