秋の花壇

少し肌寒いくらいの10月半ばの朝、白糸を束ねたような小さな花を見つけました。
ユーパトリウム’ショコラータ’(Eupatorium rugosum’Chokolate’)
秋の七草のひとつでもあるフジバカマの仲間です。
秋バラも咲き始めて
バラの花びらもほころび始めました。
微妙な色合いが美しい’バレンシア’。

’ポール・マッカートニー’の花の大きさは春のころの三分の二程度ですが、なめらかなピンク色のはなびらは大スターの名にふさわしい見事さです!

花は小さくても鮮烈な赤が印象的な’レッドドリフト’。

次々と開き始める色とりどりの花たちから目が離せない季節です。
コショウボクを訪れる虫はほかにも・・・

先週ご紹介したコショウボク(別名ピンクペッパー)。
前回の公園だよりでは花を訪れた日本みつばちを紹介しましたが、お客様はほかにも!
写真をご覧ください! どこにいるかわかりますか?

よくみるとほら! 小さな蛾の幼虫がコショウボクの花に擬態しています。
まわりと若干色が異なりますが、なかなかの名演技です。
ハンターの姿も!
コショウボクの木は、さまざまな虫たちのドラマが繰り広げられる舞台。
花を目当てに訪れる虫たちがいれば
その虫たちを目当てにハンターもやってきます。
こちらはカマキリ、お花目当てのみつばちやチョウにとっては敵役。

アメリカ山公園は農薬(殺虫剤・殺菌剤・除草剤)を使用せずに
わたしたちをはじめ、昆虫や鳥も安心・安全で過ごせる公園を目指して維持管理を行っています。
連休にはアメリカ山公園へ是非お出かけ下さい。
コショウボクの花を訪れたのは・・・

たわわにつぼみをつけたコショウボクに目をつけたみつばちたち。
まだ開き切らない小さな小さな花の間をせわしなく動き回っています。
木に近づいて耳を澄ますと羽音が聞こえてきます!
やってきたのは日本みつばち
ところでこのみつばち、なんとなく公園でいつもみかけるみつばちとちょっと違うと思いませんか。


実はコショウボクを占有しているのはアメリカ山公園で飼育している西洋みつばちではなく、少し小柄な日本みつばちなのです。
お尻のストライプがはっきりと見えるのが一番分かりやすい特徴です。お花が小さすぎて若干体格の大きな西洋みつばちは興味が無いようです。ちゃんとすみわけされているのですね。
コショウボクの実はピンクペッパー
コショウボクの実は料理に用いられる「ピンクぺッパー」。
ピンクペッパーは香辛料ではありますが、一般的な胡椒と異なり辛みはないそうです。
株には雌雄があり、残念ながらアメリカ山公園の株は雄のみなので実は結びません。
それでもみつばちたちにとっては、花だけで十分なごちそうのようです。

アメリカ山公園でひと休み

元町ショッピングストリートではいままさにチャーミングセール中。
ショッピングに訪れる計画を立てていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
お買い物合間のひと休みにお勧めなのが、アメリカ山公園。
緑豊かな公園のエントランスではノウゼンカズラがお出迎えしています。
かわいらしいピンクのノウゼンカズラにも癒されますね。

チャーミングセールとマリンタワーは同い年
ところでチャーミングセールがいつ始まったかご存じですか?
調べてみたところ、1961年!
同じ年にマリンタワーも誕生したそうです。
どちらももう62年間も続いている横浜の宝物。
アメリカ山公園ではマリンタワーをバックにぜひ記念撮影をどうぞ!

こんな写真も・・・

こんな写真もとれちゃいます!

関東大震災で命を落としたアメリカ山公園の元住人ドクター ウィーラー

今から1923年9月1日11時58分、関東地方を未曽有の大震災が襲いました。
横浜のまちは地震によって発生した火の手に包まれ、多くの人々が命を落とします。
アメリカ山公園の当時の住人であった英国人医師エドウィン・ウィーラーもその一人でした。
写真はウィーラー邸の庭にて撮影されたもので、両端がウィーラー夫妻です。
ウィーラーの子孫ピーター・ドブズさん(英国在住)からご提供いただきました。
山手町97番地に約半世紀居住
英国人医師エドウィン・ウィーラーは、関東大震災まで約半世紀の間、山手町97番地(現 アメリカ山公園)に家族とともに住んでいました。
写真 ウィーラー夫妻(ピーター・ドブズ氏所蔵)

横浜外国人居留地の重鎮
1869年に英国海軍軍医として来日したウィーラーは、英国公使館医官、日本政府の工部省鉄道医などを務めたのち横浜に移り、現在のアメリカ山公園のあるブラフ(山手町)97番地に居を構えます。
医師としてまた横浜居留地の重鎮として親しまれた人物でした。
写真はウィーラーが行った講義の記録です。
(「法沕列児」は「ホイーレル(ウィーラー)の当て字」)


没後百年
今年の9月1日で、関東大震災から100年。
エドウィン・ウィーラーが亡くなってから100年の時が経ちましたました。
医師の墓は今も横浜外国人墓地の一画にあり、夭折した子供たちとともに永遠の眠りについています。
