香りのバラ、光のバラ

年の瀬が迫り、秋口から咲き始めたバラも残りわずかとなりました。
今回は名残のバラたちのなかでも特に香り高いいくつかと、
この季節だけ見ることのできるとっておきの光るバラたちをご紹介します。
香しいバラたち
冒頭のバラは’マイガーデン’。
つぼみの時は先が高くとがっていますが、
開くにつれてアンティークな丸いシルエットになります。
こちらは’フレデリック・ミストラル’。
1904年にノーベル文学賞を受賞したフランスの詩人にちなんで名づけられたバラです。

元町側にある小庭園の入り口に咲くピンクのバラは’桃花’。
花も大きければ香りも濃厚!
ぜひ近づいて香りを体験してみてくださいね。

こちらは横浜市のバラとしておなじみの’はまみらい’。
幾重にもかさなるピンクの花びらと華やかな香り!
顔を寄せるだけで幸福感いっぱいにしてくれるすてきなバラです。

輝くバラたち
アメリカ山公園でこの季節だけ、それも日が暮れてから楽しんでいただけるバラ。
それがイルミネーションのバラたちです。
今年のテーマ「~ハチが光(ミツ)をもたらす~」にちなんだ
みつばちや光のバラがきらめくかわいいイルミ。

春がモッコウバラで覆われるアーチにも白いバラが・・・
透明な花びらに青い光が透けてとってもきれい。


芝生広場の一画には黄色いバラのお花畑が広がっています。
…と思っているうちに、光の色が変わっていき…
バラたちがどんな色に染まるのか、ぜひ見にいらしてくださいね。

冬のイルミネーションが始まりました

毎年のお楽しみ冬のイルミネーションが12月4日からスタートしました。
今年はロマンチックなブルーの光にあたたかなオレンジのアクセントが加わってますますフォトジェニックに!
ご家族みんなでお楽しみください。
- 開催期間:12月4日(木曜日)~3月1日(日曜日)
- 時間:17:00~23:00
今年のテーマはみつばち
園内にはみつばちをモチーフにした装飾も登場しました。
かわいいみつばちを見つけてぜひカメラに収めてくださいね!

ゴスペルステージや、ホットドリンク・はちみつ販売も!
ゴスペルステージ(雨天中止)
日時:12月14日(日)16:00~、17:00~(各ステージ約30分)
場所:アメリカ山公園屋上展望広場
出演:ヨコハマクワイア
ホットドリンク、アメリカ山公園産はちみつ販売
日時:12月24日(水)13:00~19:00
場所:アメリカ山公園屋上展望広場

秋バラ散歩

ようやく暑さが和らいだと思ったら、季節をひとつ飛び越えたように冬の寒さがやってきたけれど、
公園のなかを歩いてみれば そこここに咲くバラたちが短い秋を感じさせてくれます。
真紅の‛宴’。

愛らしいピンクと赤ワイン色の小ぶりのバラはどちらもアイスバーグの仲間。

お散歩の際にはどうぞ暖かい上着をお忘れなく。

秋風に揺れる花たち

いつの間にかセミの鳴き声も絶えてすっかり涼しくなりました。
秋の花壇に目を向けると、澄んだ秋空に映える青みを帯びた花々が目につきます。
こちらのルエリア’パープルシャワー’はその名の通り鮮やかなパープルカラーがとってもきれい。
紫色の花たち
アメジストセージの名が宝石のアメジストからきているのはこの色を見れば一目瞭然。
でも質感は石というよりベルベットのよう。
暑い季節からずっと元気に咲き続けています。

ブラジル原産のキク科の花’パイナップル・サングリア’。
アザミに似た小ぶりの花は蜜源植物でもあります。

青い花たち
こちらはスーパーサルビア‘ロックンロール‘。
サルビアのなかでも「スーパー」と名の付くほど丈夫でボリュームいっぱいに育つパワフルな種とのこと。
その姿もシャウトするロックンローラーたちに見えなくもないような・・・

エントランスの近くで皆様をお迎えするルリマツリ。
小さい花ながら、鮮やかな青色に思わず目を奪われます。

お散歩にぴったりなこの季節。
公園のあちらこちらで素敵な草花に出会えそうです。
1923年9月1日―古き横浜の壊滅

9月1日は防災の日。
1923年のこの日、関東大震災が横浜を襲い、現在のアメリカ山公園を含む山手町一帯が炎に包まれて建物はことごとく灰燼と化し、多くの命が奪われました。
当時の住人の一人であるアメリカ人オーティス・A・プールは、この時の体験記を後年『古き横浜の壊滅』として出版しました。
(トップの写真はルリマツリ)
この本の中には、アメリカ山公園の位置する山手97番地に住んでいた英国人医師エドウィン・ウィーラーの最期についても書かれています。
地震が起きた午前11時58分、ウィーラー医師は山下町の店で友人と語らっていました。
崩れかかる建物から危うく逃げ出したものの、高齢のウィーラーは路上で力尽きて命を落とします。

1900年の居留地制度撤廃後も洋館の立ち並ぶ外国人のまちとして栄えた山手はこの日を境に廃墟と化し、人々の多くは横浜を離れて神戸や大陸の諸都市へと避難したり、故国へと戻っていくものも少なくありませんでした。
ウィーラーの老妻も半世紀近くの長きにわたって家族と暮らした山手97番地後にして、故国イギリスへと去っていきました。
写真は自宅の庭に集合したウィーラー家の人々。
英国のご子孫の方が大切に保存していたものです。
(左より)エドウィン・ウィーラー、次男ジョージ、長女メアリー、長男シドニー、ウィーラー夫人

『古き横浜の壊滅』は日本語にも翻訳されており、有隣堂から出版されています。
O. M. プール『古き横浜の壊滅』有隣堂、昭和51年
