1923年9月1日―古き横浜の壊滅
9月1日は防災の日。
1923年のこの日、関東大震災が横浜を襲い、現在のアメリカ山公園を含む山手町一帯が炎に包まれて建物はことごとく灰燼と化し、多くの命が奪われました。
当時の住人の一人であるアメリカ人オーティス・A・プールは、この時の体験記を後年『古き横浜の壊滅』として出版しました。
(トップの写真はルリマツリ)
この本の中には、アメリカ山公園の位置する山手97番地に住んでいた英国人医師エドウィン・ウィーラーの最期についても書かれています。
地震が起きた午前11時58分、ウィーラー医師は山下町の店で友人と語らっていました。
崩れかかる建物から危うく逃げ出したものの、高齢のウィーラーは路上で力尽きて命を落とします。
1900年の居留地制度撤廃後も洋館の立ち並ぶ外国人のまちとして栄えた山手はこの日を境に廃墟と化し、人々の多くは横浜を離れて神戸や大陸の諸都市へと避難したり、故国へと戻っていくものも少なくありませんでした。
ウィーラーの老妻も半世紀近くの長きにわたって家族と暮らした山手97番地後にして、故国イギリスへと去っていきました。
写真は自宅の庭に集合したウィーラー家の人々。
英国のご子孫の方が大切に保存していたものです。
(左より)エドウィン・ウィーラー、次男ジョージ、長女メアリー、長男シドニー、ウィーラー夫人
『古き横浜の壊滅』は日本語にも翻訳されており、有隣堂から出版されています。
O. M. プール『古き横浜の壊滅』有隣堂、昭和51年