【公園だより】見浜園ご紹介 その⑤ 日本の名園の要素がいっぱい、見浜園
皆さん、こんにちは!
本日は、見浜園の築山などについてご紹介します。
アプローチを抜けると、いよいよ園内が開けてきます。
ここから左手に向かいます。
パンフレットにも記載の通り、見浜園は、時計廻り(右廻り)での散策が標準の順路になっています。
左手に進み、右側にあるのが松籟亭です。
先の公園だより『お茶室について勉強 その①』でもご説明しましたが、松籟亭は、京都北山杉を用いた数寄屋造りの本格的な茶室です。
※数寄屋造り:数寄屋つまり茶室を作る際の特徴を取り入れた建築様式。
表門は『大門』と呼び、日本一の名園と言われる京都の「桂離宮」の表門を模した造りとなっています。
※桂離宮:17世紀に八条宮初代智仁親王と二代智忠親王によって造られた日本庭園。
垣根は、『桂垣』という種類で、これも桂離宮正門の「桂の穂垣」と同じ仕様となっており、丸竹をふたつに割ったものを縦に使い頭を斜めにカットしてあるのが特徴です。
左側には築山(つきやま)があります。
『築山』とは人工的に作られた山を言いますが、日本庭園では観賞用としてのものです。
この山の一番高い部分が標高3.8mで、見浜園の中での最高点になります。
先にご紹介した上の池より注ぎこんできた川の流れは、この築山で二つの流れに分かれます。
ひとつは、山あいの穏やかな渓流となり奥の中の池に注いでゆきます。
もうひとつは、築山の斜面を回るように難所をくぐりながら下の池へと流れて行きます。
これも先に“日本庭園は『人の人生』になぞらえる”とご説明しましたが、まさにこの二つの流れは誰もが経験するものではないでしょうか?
築山の右手奥には、東屋があります。
この高台に配された東屋は、庭園全体を見渡すことができ眺めのよいスポットです。
この東屋も、先の桂離宮や修学院離宮(これも京都)にも見られます。
※東屋(あずまや):“四阿”とも書きます。庭園などに眺望、休憩などの目的で設置される簡素な建屋。
このように、見浜園のところどころに、日本の名園の要素が取り入れられています。
このようなことを感じながら、散策するのも趣きあるのではないでしょうか?
次回も、引き続きお楽しみに!
なお、見浜園は現在緊急事態宣言を受け臨時休園しております。
【公園だより】お茶室について勉強 その④ ~軸~
こんにちは。
前回までは茶道についての紹介をしました。
今回からは“茶道具”についてひとつずつご紹介していきます。
今回は「掛軸(かけじく)」です。
「掛軸」は床の間に掛けて使われるもので、「掛物(かけもの)」ともいいます。
茶道において、「掛軸」を用いる意味は二つあります。
一つは、<茶席の趣旨や目的、あるいは亭主の心構えなどを示す>というもの。
そしてもう一つは、<季節感の演出>です。
このうち前者では、茶席をどのような考えで設けたのか、どんな気持ちで過ごしてほしいかといった、客に対する亭主のメッセージがこめられます。
掛軸は禅語を書いた墨蹟(ぼくせき)が用いられることが多く、
「日日是好日(にちにちこれこうにち)」や
「和敬清寂(わけいせいじゃく)」など、
茶道の精神を象徴するような言葉が好まれます。
一方、後者の季節感については、日本における多くの伝統芸能や文学と同様に、四季折々の自然や風物を鑑賞することに重点が置かれます。
画であればもちろんですが、書であっても言葉の選び方によって季節を感じさせるよう演出をします。
さて、「掛軸」には文字を書いたもの、絵画を描いたもの、文字と絵画の両方が書かれたものがあります。
文字を書いたものには
禅語を書いた「一行物(いちぎょうもの)」「横物(よこもの)」など、
和歌や発句(ほっく)を書いた「懐紙(かいし)」「短冊(たんざく)」など、
昔の茶人が書いた手紙などがあります。
絵画には唐絵(からえ)、大和絵(やまとえ)などがあります。
文字と絵画の両方が書かれたものは「画賛(がさん)」といいます。
こういうことからもし今後茶室に入る時には、まずは床の間に飾られた掛け軸を見てみるとおもしろいかもしれませんね。
解りやすい言葉もあれば、聞いたことがない文字が並び、解説されてもなおわからないことも多いですが、それでも大丈夫です。みんな一緒です。(笑)
ただ、大切にしたいのは、先生や、亭主がそのお茶席に、この「掛軸」を選んでいることには理由があるということをしっかりと理解し、先生や亭主の気持ちを感じ取り、感謝の気持ちを持ってお茶席に臨むことです。
それでは今回はここまで。
次回の茶道具はお香を入れる
「香合(こうごう)」です。
なお、見浜園は現在緊急事態宣言を受け臨時休園しております。
【公園だより】お茶室について勉強 その③
こんにちは。
今回は前の「お茶室について」の公園だよりでお知らせしました
「千利休」について勉強をしましょう。
前の記事はこちら
「千利休」という名前は当時の天皇から与えられた名前で
歳をとってから使われた名前です。
その前は宗易(そうえき)、幼い時の名前は田中与四郎といいます。
出身地は大阪の堺市です。
当時茶道は、高価な茶碗や、ハデな演出でされていました。
豊臣秀吉が『黄金の茶室』を作ったことは有名です。
また『闘茶』という、茶の種類や水を当てるギャンブルまで流行りました。
“利き茶”みたいなものですかね。
利休の「詫び茶」ではそういった高価な道具や、
ハデな演出など、無駄をすべて取っ払ってお茶そのものを楽しむというものでした。
織田信長は「茶の湯」をとても大切にし、戦しかしらないような人にも茶道を
ススメました。お茶を通して教養を付けてほしかったのです。
また新しいもの好きであった信長は、茶器などの道具にもかなりこだわるほど
茶道を大切にしていました。
秀吉の時代になると、秀吉がますます「茶の湯」に力をいれたので、
お茶の世界でリーダー的な役割だった利休は力も持ち、秀吉からも大切にされました。
「秀吉に意見を言えるのは利休しかいない」という、史料まであるということから、その凄さがうかがえます。
そしてわずか“2畳”ほどの茶室「待庵」(たいあん)を創作しました。
この“待庵”広さも驚きますが入口に“にじり口”という入口があります。
この“にじり口”は低さに驚きます。
「松籟亭」の小間にもこの“にじり口”はあります。
外観
写真の中央にある木の板の部分が“にじり口”です。
中から見るとこういった感じです。
左側の正方形に開いているところが“にじり口”です。
なぜこんな入口を作ったのか??
それは利休がいた戦国時代は主従関係が強い時代でしたが、
茶室の中ではすべての人が平等ということを示すために入口を低くしたそうです。
これならどんなに身分が高い人でも、刀を外し頭を下げなくては茶室に入ることはできませんよね。
そんな大活躍だった利休ですがある日秀吉から切腹を命じられます。
そこで利休は「茶室にて茶の支度が出来ております」と言い使者に最後の茶をたてた後、利休は一呼吸ついて切腹しました。
千利休が愛した
“茶道”
次回からは茶道具に触れながら茶道を勉強していきましょう。
なお、見浜園は現在緊急事態宣言を受け臨時休園しております。
【公園だより】見浜園ご紹介 その④ 隠れた演出が盛りだくさんのアプローチ
皆さん、こんにちは!
本日は、見浜園のアプローチについてご紹介します。
北門を潜ると、“いらっしゃいませ!”と言わんばかりに、石畳のアプローチが見浜園へと誘(いざな)います。
この石畳は『飛び石』の一種です。
飛び石とは、日本庭園の通路などに飛び飛びに配置され情緒を醸し出す石で、千利休によって、茶室に通じる茶庭に歩幅ほどの間隔を開けて置かれた平らな石が始まり、と言われています。
庭の苔や芝生を踏まないように茶室まで誘導する目的や、飛び石をゆっくり渡りながら庭の眺めを楽しんでもらう意味合いがあります。
日本庭園の飛び石には以下の3種類があります。
・「真」(しん):切り石のみの飛び石
・「行」(ぎょう):自然石+切石の飛び石
・「草」(そう):全て自然石で出来た飛び石
書道に、「真書(楷書)」「行書」「草書」の三体があることと同じ意味合いです。
この石畳は、『真の飛び石』となります。目地は丁字でずれないようにしております。
また、小堀遠州という有名な江戸初期の茶人(庭作りも行う)が、この切り石のみの(真の)飛び石を好んで採用したことから、『遠州好みの真の飛び石』といいます。
アプローチの右手には、かなり背の高い植栽があります。
自然の美しさを損なわないように風景を調整することを『修景』といいます。
この植栽は、修景植栽と言え、庭園に入った趣きを損なわないよう、周辺のビル群を隠す役割をもっています。
つづいて、アプローチの左手には、大人の背丈ほどの生垣があります。
この生垣は「金閣寺垣」と言われるもので、京都の金閣寺の滝口にある竹垣と同じ手法によってくみ上げた生垣です。
竹垣は低く上部にかぶせ竹を施しています。垣根の上部に半割りの竹を掛けているのが特徴で、造形的に格調が高いとされています。
この竹垣や生垣の隙間から向こうの園内(築山)がチラチラ見えます。
これにより、これから散策する庭園がどんな趣きなのか、想像力と期待感を膨らまされるのです。
このアプローチを進むと、くの字型に少し左に折れていきます。
折れた先を進み振り返ると、北門やその外が見えなくなります。
『屈曲の意』といい、外界とお別れし、この庭園の世界にじっくり入りこんでいただくための工夫のひとつと言えるでしょう。
このように、アプローチには、お客様を向かい入れる様々な(エンターテイメントで言うところの)“演出”が取り入れられています。
このような造園者の想いや工夫も知りながら、アプローチを歩いてみるのも感慨深いのではないでしょうか?
次回も、さらに見浜園の各所を紹介していきますので、引き続きお楽しみに!
なお、見浜園は現在緊急事態宣言を受け臨時休園しております。
【公園だより】見浜園ご紹介 その③ 格式高い見浜園の入園門『北門』
皆さん、こんにちは!
本日は、見浜園の入園門についてご紹介します。
まず、見浜園に入園するには、入園料が必要になります。
料金は、大人100円、小中高校生50円となります。
(年齢65歳以上の方は身分証明書をご提示により、障がい者の方及びその介護者の方は障がい者手帳をご提示により、入園料が無料になります。)
この入園門右手の券売所にて、お支払い下さいね。
見浜園の入園門(通称『北門』と呼ばれています)の屋根は、なだらかな曲線の銅葺き(ぶき)となっています。
『銅版一文字葺き』という皇族や摂家などの御所に用いられた日本家屋の伝統的な工法を採用しており、日本の伝統美も感じさせつつ、国際交流の場『幕張新都心』を意識して現代風にアレンジされたものになっています。
また、銅にはイオン効果があり、木造の建築物の柱の根本や大切な部分を銅板で保護すると、このイオンが溶け出して木材の腐食菌に対して殺菌作用をもたらせます。
すなわち、木材がより長持ちし、建築物を守る事になります。
北門の屋根は、このような建築の工夫(技術)で劣化を防いでいます。
さらに、北門の塀は、定規筋(じょうぎすじ)と呼ばれる何本もの白い水平線が引かれた土塀になっています。
これは、単なるデザインではなく、『筋塀(すじべい)』といい、御所・宮家などしか許されないという塀を模したものです。
筋の数は格式により異なり、五本が最上となります。
このように門だけとっても、見浜園に、格式ある日本の伝統文化をお伝えしようとする想いが感じられますね。
このような意味合いも知りながら、門を潜ってみるのも趣きがありますよ。
なお、見浜園は現在緊急事態宣言を受け臨時休園しておりますが、
通常時の開園時間は 8:00~17:00(入園は16:30まで)となります。
年末など不定期に定休日がございますので、予めホームページをご参照下さいね。
次回は、いよいよ見浜園の内側を紹介していきますので、引き続きお楽しみに!
【公園だより】お茶室について勉強 その②
みなさんいかがお過ごしでしょうか?
いい天気で気持ちいい日が続いてますね。
心地よい風が吹いてお花も喜んでいるようです。
さて、今回は「茶道」ってなに??
ということで勉強していきましよう。
「茶道」とは、
伝統的な様式にのっとって客人に抹茶をふるまう事で、「茶の湯」とも言います。
茶を入れて飲む事を楽しむだけではなく、生きていく上での目的・考え方、宗教、そして茶道具や茶室に飾る美術品など、広い分野にまたがる総合芸術として発展しました。
「茶の湯」では五感のすべてを楽しませてくれます。
視覚を楽しませる道具の美術工芸。
手に感じる茶碗のぬくもりや唇に感じる柔らかさといった触覚。
茶や茶菓子の味覚の楽しさ。
茶室にたちのぼる香のかおりを感じる嗅覚。
水を汲み上げる音や銅鑼のやわらかな響きの聴覚。
「茶の湯」は単にお茶を客人に振舞い、お茶をいただくだけではなく、
亭主自身も同じように客人から楽しませてもらうことが大切です。
そこに「茶の湯」の楽しみがあるといわれています。
「利休百首」というものがあります。
※利休百首とは
利休の教えである茶人の心得・作法などを
和歌に詠んだものです
「茶の湯とは ただ湯をわかし茶をたてて のむばかりなる事と知るべし」
この言葉を読むと、「ただ湯を沸かして茶を点てて飲むだけ」
ならば、お作法もお稽古もいらないのでは?
ついそう思ってしまいそうですがこの「ただ」ということが奥深いそうです。
これを説明する前にまずはお茶の歴史をご紹介します。
諸説ありますが
お茶の起源は紀元前2700年頃の中国といわれています。
日本に来たのは遣唐使が往来していた奈良・平安時代に、最澄(さいちょう)、空海(くうかい)などの留学僧が、唐よりお茶の種子を持ち帰ったのが、日本でのお茶の歴史の始まりとされています。
その頃のお茶は団茶(だんちゃ)といって、お茶の葉を蒸して固めたものを団子にしたもので、とても美味しいとはいえない代物だったようです。
さらに漢方薬とみなされていたため、薬として飲まれ、限られた階級の人だけが知るものだったようです。
やがて武家階級の間で広まったことで、より多くの人がお茶を嗜み始めたことが現在のお茶の歴史といわれています。
そこでお茶の世界に革命を起こした人物がいます!!
この人です!!
皆さんご存じの『千利休』です。
ということで
次回はこの『千利休』について少し詳しく紹介します。
お楽しみに♪
※現在は緊急事態宣言を受け臨時休園しております。
【公園だより】見浜園ご紹介 番外編 🌺つつじが綺麗に咲いています🌺
皆さん、こんにちは!
今日はとっても良いお天気で☀☀☀、見浜園内でつつじが綺麗に咲いていましたので、レポートします。
まずは、築山の川の流れとともに咲く、ピンクのオオムラサキツツジです。
ハス池の前に咲く、白とピンクのヒラドツツジです。
松籟亭を向こうに見てのつつじです。
船着場近くから平橋を向こうに見てのつつじです。
反対側から丸橋を向こうに見て。
ここからはつつじとのコラボ写真です。
まずは、上の池前のシバザクラとのコラボ!
松とのコラボ!(キリシマツツジ)
あやめとのコラボも!
最後は、カモとのコラボ?
気持ちよさそうに、(-_-)zzzです。
見浜園は緊急事態宣言を受け、現在は臨時休園しております。
実際にお見せできなくてとても残念ですが、この写真で是非お楽しみ下さいね。
【公園だより】見浜園ご紹介 その② 上の池にはたくさんの見どころが!
皆さん、こんにちは!
本日は、見浜園入園門の左手にある『上の池(かみのいけ)』についてご紹介します。
池の奥を見ると、池の向こうの山から湧き出でた水が滝となり、上の池に注いでおります。
滝口には、紅葉の枝が左右から2本滝にかかっています。
これは日本庭園の手法のひとつで、『飛泉障り(ひせんざわり)の木』といいます。
この飛泉ざわりの木とは、“滝の手前にそえて滝口を隠す木で深山の情景をかもし出す”手法です。
このような日本庭園において庭の景観の趣を出すために植えられる木(手法)のことを、『役木(やくぼく)』といいます。
湧き出る水は、井戸(地下100m以上)から汲み上げている地下水です。
地下深い水のため、温泉のような硫黄の臭いがします。このにおいがお好きな方にはどうぞ??
池の前の岩や石には、筑波山の岩(山の石)とゴロタ石(川の石)が使われており、自然がつくる造形美を醸し出しています。
また、上の池には、たくさんの鯉が泳いでいます。
見浜園に入らずとも鯉への“エサやリ”を楽しむことができる、隠れた人気スポットになっています。
特にお子様連れのファミリーには大人気です!
泳いでいる鯉は、ニシキゴイで、40匹以上います。
エサを求め鯉たちが一気に集まって来て楽しいですよ。
鯉のエサは1個100円で販売中です。お越しの際は是非お試しを!
※冬季は、鯉の健康管理のためエサやりは中止しています。
鯉は、寒くなるとエサを消化できなくなり、エサをたくさん与えると消化不良で死んでしまうのです。
前回(ここをクリック)“この上の池の水が川となり、見浜園内の下の池に流れつく”とご紹介しました。
日本庭園をよく人生になぞらえることがあります。
そういった観点からするとこの『上の池』は誕生の場と考えられます。
見浜園に入る前から、実は庭園散策が始まっているのです!
上の池は、入園料不要です。
いつでも散策できますので、お気軽にどうぞ!
次回は、見浜園の入園門についてご紹介する予定です。お楽しみに!
五月人形を飾りました!
皆さんこんにちは!
本日から5月ですね。みなさまお家でどのように過ごされているでしょうか。
5月5日は端午の節句の日ですねパークセンターでは一足先に五月人形を飾りましたよ!
この五月人形の鎧兜(よろいかぶと)には「体を守る」という願いが込められているそうです。
パークセンターでは今年も皆々さまの健康を祈願して飾らせていただきました。
また端午の節句には気軽にお家で楽しめる「菖蒲湯」(しょうぶゆ)というものもあります。
これは菖蒲(しょうぶ)の葉をお風呂の湯舟に浮かべて香りを楽しむものです。
実際にやってみるとスッとした独特の香りを楽しむことができます。
香りのおかげで気分転換できますよ!
まだもう少し家で過ごす日々は続きそうですが、このような季節の楽しみを大切にしていきたいですね。
ではまた次の投稿で!